さて、ラファエロの間を過ぎると、現代宗教画や抽象絵画までを集めた狭いギャラリーなど、幾分面白みの少ないコーナーを通り過ぎ、ようやくシスティーナ礼拝堂の登場です。壁面と天井を覆い尽くす絵画の渦。教会背面の壁一面を使って描かれた、ミケランジェロの「最後の審判」と天井の「天地創造」の一連のフレスコ画は、宗教劇場とでもいえるストーリーをもって見学者に語りかけ、天から押し付けて来るようにさえ感じます。「最後の審判」の登場人物が身に付ける腰巻きが、性器を隠すように後から別の画家によって描き足されたものであるという話は有名ですが、なるほど実際見てみるとあちこちに描かれた腰巻きがどれも不自然な印象を拭えない。
弟子の力を借りて四つの部屋を描いたラファエロとは違い、助手の作業が気に入らず総てをひとりで描きぬいてしまったと言われるミケランジェロの根気と決して楽ではない天井画を描き切った体力に、やはり人間を超越したものも感じずにはいられません。そしてこのような素晴らしい作品を鮮やかに蘇られるための、修復作業を可能にした日本のテレビ局にも感謝。
システィーナ礼拝堂を見て、外に出ると行列しているのも含めると6時間くらい経っていました。見ていない場所もあるので、1日ではぜんぜん足りないヴァチカン博物館でした。
博物館を出てから、その足でサンピエトロ大聖堂へ。朝の行列はさすがに少なくなっており、10分ほど並んでセキュリティチェックを受けると、中に入る事が出来ました。カトリックの総本山だけあり、さすがに聖堂外部の装飾からして素晴らしい。モザイク画や扉の彫刻を眺めながら内部へ。
最初に向うのはもちろん入ってすぐ右手にある、ミケランジェロの「ピエタ」。防弾ガラス越しに遠くからしか見る事が出来ませんが、抑制の利いた静かな大作の存在感は充分届いてきます。
後で知った事ですが、マリアがイエスより大きく作られているのは、当初の設置場所から現在の場所に移された事から、ミケランジェロが想定した遠近法を使った錯覚が活かされていないのだと言う議論があるそうです。本来の設置場所がどこだったのかは分かりませんが、アカデミア美術館のダヴィデを見ると、目の錯覚をうまく利用して作品の完成度を高めるミケランジェロの設計通りに見てみたい気がしてきました。
聖堂内の素晴らしい作品はピエタだけではありません。ベルニーニの大天蓋を始めとする装飾や身廊のあちこちに立っている彫刻を見れば、過去の建築家や彫刻家の才能に敬意を払わずにいられません。
次の日、ローマ遺跡を見学するために、コロッセオとフォロロマーノまで行ってきました。こちらは美術館のような集中力を必要としないので、楽に見学できます。
コロッセオは映画などで映像化されて目にする機会の多い遺跡ですが、実際に自分の目で見てみると、その大きさと外壁を3段に取り囲む列柱のデザインに、思わず「おぉ!」と声が出てしまいました。早速チケット売り場までの行列に並びます。中に入ってゆくと、壁と天井で影になったエントランスから、太陽が燦々と照らすアリーナのある中央部までの階段を上る雰囲気が、まるで映画のワンシーン。アリーナはコロッセオが使われなくなってから、建材として破壊されてしまったため原形を留めていませんが、闘技場の地下に作られた仕掛けが露になっており、その複雑な構造の建造物が、今から二千年以上前に造られたことには、ただただ驚くしかありません。
フォロロマーノはコロッセオの隣に広がる古代ローマの政治の中心地の跡。いろんな建物が建っていたのであろうことを彷彿とさせる、基礎跡や列柱。運良く資材が保存された建物は修復されています。現在は公園のようになっていて、地元の人と思しきグループも含め、たくさんの見学者が立ったままだったり、遺跡の石やフェンスに腰掛けたりと、思い思いのポーズで史跡を眺めている。建造物の一部だったであろう石の塊に、とても美しい文字が刻んであるのを見つけて写真を撮りました。
コロッセオだけでも半分疲れ気味の僕たちは、元老院の床のモザイクの素晴らしさとその保存状態に感心した後は、あたりをぶらついてお終い。近くのレストランで簡単な食事をしてからホテルに戻りました。
ローマ市内は、ガイドブックでも紹介しきれないような歴史のある建造物や史跡が、中心部に嫌と言うほど集中しています。市内を車を走らせながら、目に入ってくる風景を眺めているだけでも十分楽しめる気がしました。ガイド付きのバスツアーも充実しているので、それに任せて車窓を流れる風景を見ながら一周するのも、面白い楽しみ方かも知れません。結局3日間いても、すべての見どころを見て回れるはずもなく、ここもまた再訪する必要がありそうです。
願わくば、あの恐ろしいほどの渋滞と悪質な路上駐車がなくなってくれれば、最高なのですが・・・。