ファティマは巡礼の町。バチカンの認めたマリアの奇跡の起こった地として、奇跡の起こった5月13日には毎年各地から多くの巡礼者が徒歩で集まってきます。
奇跡の内容には様々な説があり、ネットで調べるとちょっと混乱しますが、大まかにはこんな具合です。1917年の5月13日、村の子ども3人のもとに、天から輝く聖母マリアが降りてきてこの地に聖堂を建てるよう、そして毎月13日に予言を授けるために再来する事を告げました。
それ以降毎月13日に同じ奇跡が起き、第一次世界大戦の終戦、第二次世界大戦と核兵器の出現、ローマ法王の暗殺の3つの予言を与えます。最後の10月13日には噂を聞きつけ集まった周辺住民7万人以上によって、太陽のように輝く物体が目撃されます。ローマ法王庁によって調査が行われ、奇跡として認定されるも、ローマ法王の暗殺については機密とされ、2005年5月になるまで公表されませんでした。
この奇跡が起こって以来、ファティマの地が聖地として巡礼者を集めるようになり、現在までそれが続いています。
奇跡を体験した3人の子どもの内、二人の兄妹はすぐに死亡(聖母の予言の一部)、最後のひとりはつい最近の2005年2月に死去するまでファティマの修道女として勤めていたというから驚きです。
そのファティマにやってきました。広い町でホテルがたくさんあります。町の広さや建物の大きさに比べ、通りを歩く人が少ないので空虚な感じさえします。ホテルは値段相応(45ユーロ/約8,046円)の設備ですが、最近改装されたばかりで真新しく、清潔。
同じホテルに泊まっているのは、学生たちのよう。部屋の窓から外を見ると、通りに蛍光色のジャケットを着た巡礼者がちらほら見かけます。100km近くで飛ばす車の通る車道脇を歩いて巡礼するため(車で走っているとヒヤッとする)、安全ジャケットを着て巡礼するのが通例です。
翌朝、聖堂のある広場Sactuário de Fátimaまで見学に行きました。どうやら日曜日午前中のミサの最中とあって、大勢の人が集まっています。夜にスーパーに行ったときには全然車が少なかった通りが、ちょっとした渋滞状態で、警察官が交通整理をしているほど。車に構わず車道を横切って歩いている人達もたくさんいて、お祭りでもあったのかというほどの人の数。教会のある広場の前を通ると、キャンプ場などもあり、巡礼の人たちでしょう、たくさんテントが張られているのが見えます。
広場を出る向きの人の流れが多いので、ひょっとしたらミサが終わったかもしれないと思い、急いで広場に向った僕たちを待ち受けていたのは、軽く5万人を超すであろう人、人、人。安全ジャケットを着たグループがいるかと思えば、黒人さんのグループもあり、地面に座り込んだ若者たちの集団もいれば、アジア人の家族と思しき集まりも。
入道雲が浮かぶ空の下、スピーカーから流れる聖歌が響き、広場の中央に作られた祭壇ではなにやら儀式が行われています。儀式の中心となっているのが、聖母マリア像。白い花の小山の上におかれた像は、周囲におかれた蝋燭の明かりでかすかに浮かび上がっているかのようにも見えます。
左手にある焼却場のように火が燃え盛る建物に、長い蝋燭を携えた人が順番を待って並んでいます。燃やされる蝋燭の匂いが風に漂い、教会の内部にいるような錯覚を起こさせます。さらにその先には、祭壇の方向に向かって地面にのびる大理石の通路の上を、膝つき歩きで少しずつ歩いている人びと。道ばたを歩いている巡礼者たちの顔つきは、どちらかというとスポーツを楽しんでいるかのように見え、健康的な印象がありますが、この広場にいる人達は、それとは全然違う恍惚とした表情すら浮かべています。
異様な光景は現実のものであるような感じがせず、ぼーっとしてしまいます。テレビ以外では初めて見る、大掛かりなカトリックの儀式を目前にして、信仰の力とはなんと大きいのだろうと驚かされました。普段はなにげなく日常に介在する隣の人が、こういった儀式に参加するため何年かに一度は、何十キロ、何百キロもの距離を歩いて巡礼を行うかも知れないのです。
ここで目にする事の出来るカトリックは、結婚式や洗礼を教会で行い、毎日曜日に教会で井戸端会議の延長をするような、明るく開かれたものではなく、多分に秘密的で行き過ぎたアブナイ雰囲気が漂っています。
奇跡が起こったとされる5月13日には、巡礼のクライマックスとなる儀式が行われるはずです。その時にはまだまだ収容量がありそうな広場にぎっしりの人が集まり、皆が救済を求めて神に祈るのでしょう。
奇跡や光る物体など、サイエンスフィクションやUFOの話にも似たオカルトじみた雰囲気に、怖いもの見たさも手伝ってやってきたファティマでしたが、ある意味、背筋がぞっとするものを見てしまった気がしました。(宗教に偏見は無いつもりですが)