ホテルのベルを鳴らすと、ターバンを頭に巻いたインド人が迎えに出てきました。
いつものようにインターネットのホテル検索サイトで見つけて予約した宿Hotel Unghereseは、フィレンツェの中心部から離れた場所にあって、バスや電車のアクセスも良くない。その分、市内中心部と比べて格段に安く、レンタカーでの移動を前提としている僕たちにとっては願ったり叶ったりです。
インド人のレセプショニストは、面食らっている僕たちを相手に受付を済ますと、何事もなかったのようにパソコンでYouTubeに没頭してしまいました。
フィレンツェには2泊の予定ですが、その間にたくさんある美術館を目一杯見学しなければなりません。
最初はウフィッツィ美術館へ。橋の歩道に宝石商が並び、二階建てになっている上階部分はかつてフィレンツェを支配したメディチ家の人々が通路として川を渡ったという、ヴェッキオ橋の反対側のガレージに駐車。歩いて橋を渡ったのは、朝8時半とあってまだ宝石商はどれも門を閉じたままでした。
ウフィッツィの目玉はたくさんのガイドブックに紹介されていますが、僕がフィレンツェで絶対見ると意を決して挑んだのは、サンドロ・ボッティチェリとフィリッポ・リッピの作品。もともと決して多いとは言えない画家たちの作品が、この美術館には集っており、フィレンツェの名を世界に知らしめています。
フィリッポ・リッピはフラ・アンジェリコと同時代に生きたフィレンツェ派を代表する画家のひとり。パリのルーヴルでフラ・アンジェリコの聖母戴冠を見てから、中世以降ルネサンスまでの宗教絵画が好きな僕ですが、現代に向うに従って表現が立体的で豊かになって行くのを見るのも面白い。後期のリッピが描く聖母に見られる人間的な美は、その中間とも言える見応えのある美しさ。
エジプトの壁画のピグメントがまだ鮮やかな色彩を保っているのも驚きですが、600年の時間を超えて画家の筆のタッチを味わったり、画面の向こうにいるはずのモデルの存在感を感じられるのは、ヨーロッパの美術館の収蔵作品の素晴らしさに驚かされます。
ボッティチェリはイタリアのユーロ硬貨の裏面に描かれているほど有名な「ヴィーナスの誕生」で知らない人はいないほどですが、とうとう本物を見れたという感慨深さでした。西洋美術史の教科書や画集では幾度となく目にしていた作品も、本物を目の前にして、その大きさや奥行き、鮮やかな色使いを見るとやっぱり印刷物では素晴らしさを伝える事が出来ないなと感じます。
作品前での人混みが激しい「春」「ヴィーナスの誕生」はもちろんですが、「ザクロの聖母」に一番時間をかけて見入ってしまいました。この作品の聖母やとりまく天使、「春」のヴィーナスなどの人物像を眺めていると、これほど人物の美しさを探り出そうとした画家もいないのではないかと思えてきます。キリスト教文化にありながら異教的な雰囲気を漂わせる作品群は、ウフィッツィの中でも独特な空気に包まれていました。
ウフィッツィには、これら以外にもフラ・アンジェリコやジョット、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、やたらと作品が多いラファエロ、ティツィアーノ、ルーヴェンス、カラヴァッジオなど、本当にたくさんの作品が詰まっています。作品数はそれほどでもありませんが、傑作ぞろいなので、本当なら何日かに別けて、作品の印象が薄くならないようにして訪れてみたい場所です。
その後ドゥオーモのクーポラに上り、フィレンツェの景色を眺めると、テラコッタの瓦屋根がどこまでも続くその先に、今さっきまで見てきたルネサンスの絵画に描かれていたのと同じ、鮮やかな緑の木々や山、アルノ川の流れが目を楽しませてくれます。
景観を保護する目的か、屋根の上に載せられたパラボラアンテナのいくつかは、屋根瓦と同じ色になっていて目立たなくされていました。
アカデミア美術館に行くと、ミケランジェロのダヴィデが待ちかまえていました。フィレンツェ市内にふたつもコピーが存在するこの作品は、同時代の画家などに描かれたダヴィデと違って巨人ゴリアテの頭を持っておらず、中性的な美意識の中に現代的な空気をも感じさせます。後で調べてみると、羊飼いの少年に過ぎないダヴィデが知恵を使って巨人を倒したという、旧約聖書の記述が背景となっているとの事。なるほどミケランジェロが無残な巨人の生首ではなく、知的な表情を強調したがったわけです。
サンロレンツォ教会にもミケランジェロの彫刻があります。メディチ家の礼拝堂として建てられた建物の地下にある二つの墓を飾る彫刻は、どれも苦しそうな表情で、狭く暗い死の空間を出たがっているようにも見えます。このような生々しい心理表現は、いずれも大理石を掘って作ったものだとは思えないくらいです。ミケランジェロの作品はどれも石膏像として日本の美術学校でデッサンの練習のモチーフとして多用されていて、特にここのジュリアーノ像は高校のアトリエで何度も描いた記憶が蘇ってきて、純粋に作品として見る事が出来なくなり良くありません。作品を鑑賞するというよりは「昔描いた石膏と違って見えるな」などと余計な事ばかり考えてしまいます。
この礼拝堂のもう一つのみどころは、礼拝堂内にある貴石細工です。様々な色の石を切って継ぎ合わせて絵を描いているのですが、隙間ができないようぴったりの形に切り出す職人の技術力と膨大な時間に、頭がくらくらします。この時代の芸術家たちは、メディチ家の庇護のもと、現代人では不可能なほどの時間と、人生そのものを芸術に捧げていたんだろうなと、唖然とさせられます。自分がこの時代に生きたなら何をやっただろうか、人生全部を傾けたならこれら天才にどこまで近づく事ができるだろうか。
フィレンツェにはまだ他にも見るべき美術館がたくさんありますが、旅の先を急ぐため僕たちはこれで満足して次の目的地、ローマに向って車を走らせました。フィレンツェはぜひまた一度、今度はしっかり時間をかけて訪ねてみたい街です。