ベトナムの主要な都市には、なにかしら戦争や南ベトナム解放に関する資料館があります。全土で激しい戦争が行われたため、各地に記録写真や投下された爆弾の破片、放置された戦闘機や戦車などが残っているのでしょう。酷い戦争を経験したこの国が、国民やここを訪れる世界中の人たちに可能な限り戦争の恐ろしさを伝えようとしているのが分かります。
ホーチミンシティに滞在している間、市内の中心にあるベトナム戦争証跡博物館へ足を運びました。
入り口を入ると、屋外に戦車や戦闘機が展示されているのが目に付きます。中央にある建物には現在も残る枯葉剤の影響で生まれた障害を持った子供の写真や映像、戦時中にアメリカ軍が投下した爆弾や火器の実物が展示されています。敷地内の別の場所には南ベトナム政府によって行われた虐待に使われた牢獄の復元もされています。
博物館にはこれらの資料と同時に、戦時中に各国のメディアによって競って戦地へと送り込まれた、そして多くはその地で命を落とすことになった従軍カメラマンたちの写真を讃えた展示に大きな面積を割り当てています。また世界各国で終戦を願って作られたポスターや雑誌記事などの展示もあります。観光客たちも思わず無口になり、寡黙にゆっくりと資料を追うだけで精いっぱいといった様子でした。
戦争の惨さや凄まじさはもちろんですが、平面で切り取られた写真の力強さがとても印象に残りました。従軍カメラマンは銃弾飛び交う中や地雷原を進みながら撮影をすることを強いられるため、常に記録としての写真を撮ることを優先していると思うのですが、博物館で展示されている写真はどれも作品と呼ぶにふさわしいものばかりです。
強いストレスに曝されながら、まさに命と引き換えに力強い一瞬を捉えていくカメラマンの技量にはただただ敬服するばかりです。
欧米の新聞や写真誌に掲載されている写真と、日本のメディアが扱う写真の差は一体何なのだといつも不思議に思っていました。
フランスにいる時にはリベラシオンという新聞を購読していたことがあります。それはタブロイドフォーマットで1ページ1特集の読みやすさが気に入っていたと同時に、表紙や本文中に掲載されている写真が優れていてそれを眺めるだけでも楽しめるという理由がありました。
日本の新聞は写真の説得力や美しさよりも見出し文字が大きく踊っていることの方が多く、文字を中心とした表現文化なのだなと感じます。雑誌には美しい写真を掲載したものの多くありますが、どれもカメラマンの作品作りのために時間とコストをかけて撮られたもののようで、報道写真のような緊迫を伴った一瞬の切り取りではないですね。
博物館で展示されている写真の中には日本人カメラマンの作品(沢田教一や石川文洋など)も多数ありますが、いずれも欧米のメディアで発表されているもののようです。
素晴らしい写真は事実の一瞬を伝えるだけでなく、カメラマンの目が捉えた前後の時間やその場を共有した人の感情の揺れなども滲み出しているような気がします。記憶に残る写真によって伝えられる出来事は、見る者の心に長く留まり、社会問題や事件に対する考える機会を提供してくれるような気がします。日本にも報道カメラマンが活躍できるようなメディアが登場すると、日本人の考え方を良い方向に変えるきっかけになるかも知れません。