数年間ヨーロッパの土地を離れていても、ひょんなことから思い出したり懐かしくなったりする人がいます。10年以上前から仕事をきっかけとして知りあい、パリの会社でオフィスを隣り合わせにしながら、大きなプロジェクトを一緒に完成させた、フィリップとエミー、ガブリエルの3人もそんな懐かしい人たちの一部です。
エミーと娘が二人で住むローザンヌ近郊の小さな村へ。この村に数年前から住んでいる二人の家は、古い農家を改造したとは思えないほど、広いスペースを活かした、居心地の良さそうな洒落た住まいです。雑木林を頂きにした芝生でいっぱいの丘の斜面に建つ建物までは、眼下に見おろす自動車道の騒音も届いてきません。
後からやって来たフィリップとガブリエルも集って再会を祝したら、とめども無く話したいことが出てきますが、うまく言葉が出てきません。パリに住んでいる間は、フランス語で不自由を感じることなくやり取りできたはずですが、6年間のブランクで、無残にも多くのボキャブラリーとフランス語で考える力を失ってしまったようです。相手の話す言葉はすっと理解できても、自分の感じるままに言葉が紡げないもどかしい感覚。相手にとっても以前の僕とは違うような印象を受け取ったに違いありません。頭の中がフル回転で日本語からフランス語に翻訳しているのを感じながら、なんとか会話を続けることが出来ました。
初日の夕食はローザンヌの有名なカフェ、Café Raymondで。真新しく、少し醜い外観とは正反対に、古いカフェのままの内装を残した店内は、すでに満席の客達の立てる騒々しい話し声とタバコの煙で息苦しくなっています。せっかくのスイスでこれを食べずに帰ってはいけないとばかりに、皆でチーズフォンデュを食べました。
食後、家に戻ってきてから、エミーとガブリエルと僕の3人でワインや村で作られたというブルーベリーのリキュールなどを飲みながら、夜更けまで話をしました。何を話したのかは、もう忘れてしまいましたが、懐かしい仲間たちに囲まれた雰囲気だけは、しばらく忘れる事がなさそうです。
翌日、遅い朝食を一緒にした後、ローザンヌまで車で出かけました。学校に行っているニナを迎えに行くというエミーとはそこで別れ、レマン湖畔で散歩してからCollections d’Art Brutという美術館を訪れました。
スイス人画家のジャン・デュビュフェが収集した作品群が元となって作られた美術館は、Art Brutと呼ぶ、精神病患者や囚人などによって作られた絵画や立体作品を集めた場所。美術館に入る前には、一体どんな恐ろしい作品があるのだろうと、恐いもの見たさでいっぱいでした。ちょうど日本人の作品を集めた特別展が実施されていて、僕たちにとってもさらに興味深いものになりました。
実際の作品達は、はっと息を飲むような美しさと静けさで満ちています。どの作品も、功名心やお金などとは関係ないところで、無垢な精神で対象物に向う作者の姿が目に浮かぶようです。描く事が出来ずに苦心したり、悩んだりするのではなく、溢れ出てくるイメージを紙や粘土にぶつけ、手を動かさずにはいられないような、人間の奥底に眠る創作意欲を目覚めさせたような作品達です。本物のアートとはこうあるべきだと感じさせられました。
中でも日本人の作品は、目から入ってくる情報を自分というガラスを透して作品に投影するような、観察者としての素晴らしい能力を示すものが多くあったと感じました。虚栄や誇りをはぎ取った生の人間でも、地球の西と東で大きな差を感じずにいられない事に、不思議な安心感があります。
その夜、仕事先のジュネーヴから戻ってきて疲れ気味のフィリップが再度合流し、地元の友人夫婦たちと一緒にエミーの手料理で夕食を頂きました。美味しい食事と極上のワインのおかげで、長く記憶に残る晩餐になりそうです。
またもや夜遅くまでエミーとガブリエルと3人で語り合ってしまいましたが、プロジェクトが終った夜に、一緒にパリのカフェで話しあった時の事を3人とも思い出していたようです。ひと仕事終った後のような、心地よい疲れの中で、話の内容よりも、二人の笑顔が忘れられない一晩です。