キュタフヤの町は、物静かでこぢんまりとした雰囲気です。観光客がほとんど訪れないこの地に、なぜわざわざ立ち寄ったかと言うと、パムッカレからイスタンブールまでの12時間以上のバス移動がいやだったから。さすがにバス移動も疲れてきました。途中で一回ストップしてリフレッシュしてから、イスタンブールに向うことにしました。
観光客が少ないので、地元の人々の生活を間近に観察することが出来て面白い反面、ホテルの選択肢が少ないのが欠点となります。僕たちはバスターミナルから町の中心部に向って、30分ほど歩いてホテルを探しました。ターミナル近くのホテルは、どれも狭くてちょっと小汚い感じの部屋ばかり。きっとトルコのビジネスホテルと言うのはこんな感じなのでしょう。
中心部に到着して、3軒部屋を見せてもらった中で、値段も部屋の状態もまあまあ納得出来た(それでも他の観光地よりは高い)ところに泊まることにしました。
強面のオヤジがレセプション。さらに強面のオヤジが掃除係。でも二人とも気味が悪いほど親切で、ニコニコ顔です。僕たちの部屋にタオルがなかったので、持ってきてくれとお願いすると、何枚も余分に持ってきて好きなものを選ばせてくれます。掃除も漂白剤を入れた洗剤で、ごしごしと洗い徹底して清潔です。
夕食を食べたロカンタのオヤジもとっても親切。ひとつひとつの料理を拙い英語で教えようとしてくれます。
そんな親切な人ばかりのキュタフヤに、唯一と言っていいほどの見どころは、チニリ・ジャーミィ。チニリはこの地方で生産される陶器のこと。その名の通り、ターコイズブルーの陶器のタイルで覆われたイスラム寺院です。
ホテルの裏手にある丘の上まで、この寺院を探しに行くと、あまり裕福とは言えない住宅街が広がっていました。僕たちが中国人かどうかと知りたがる子供たちが、男女入り乱れてサッカーをしていたり、珍しいのか少し離れて後ろからずっと歩いて付いてきたり。自転車に乗った男の子は、わざわざ僕たちの前までやって来て、自転車に乗ったままジャンプをして見せてくれ、自慢げに笑っていました。
肝心の寺院は閉まっていて中を見ることは出来ず、建物も予想外に小さい。歴史の浅い庶民のために建てられた寺院は、どこもこんな感じなのかも知れません。
丘の上から見下ろす風景は、雑木林が伐採され茶色い地面が顔を覗かせ、遠くに高い煙突から煙を吐く工場がいくつも見え、すぐ真下には適切に処分されなかったゴミが散乱しています。ゲンナリしてしまう風景ではありますが、日本にもこんな時代があったはず。
翌日もと来たバスターミナルに戻り、イスタンブールへ。イスタンブールは郊外まで到着するのは、高速道路を乗り継いで行くので速いのですが、市内に近づくにしたがい渋滞が激しくなり、のろのろとした進行になります。バスターミナルに到着しても、そこからセルビスに乗り換えて市内に入るため、本当の意味での到着時間は、時刻表より2時間は遅くなりました。
タクスィム広場でセルビスを降りると、前回イスタンブールでお世話になったOtel Avrupaに直行。久しぶりに合うスタッフがにこやかに出迎えてくれました。前回と同じ金額で、ちょっとキレイで新しそうな部屋。
2回目のイスタンブールでは、特にこれといった予定はありません。1年近く履き続けてボロボロになったジーパンを新調したり、イスティクラール通りの裏通りにお洒落な雑貨屋を覗きに行ったり。相変わらず毎日暑いので、少し歩き回ったら、バーガーキングでソフトクリームを食べるのが日課になります。
そして、フランクフルトへ向う飛行機に乗るため、深夜出発の空港送迎バスに乗りました。僕たちと同じように深夜以降に出発するフライトの乗客が多く、バスの中はとても混雑。19日間存分に楽しんだトルコの旅を振り返りながら、またいつかきっと戻ってくると確信するのです。