さて、翌日。買っておいたマチュピチュ遺跡の入場券(ひとり120.50ソル/約4,569円。高い!)を手に、朝4時起きで遺跡に向うバス乗り場まで向います。バスも往復で12USドル(約1,376円)と、放っておいても毎日たくさんやって来る観光客の足下を見るような、そしてペルーの物価につり合わない値段。
朝もやの中を13回のつづら折りの道を上っていくと途中で雨が降ってきました。幸い傘を持っていたので、遺跡の中へと進みます。真っ白で先の見えない道を、前を歩く人に着いて進んでいったら、知らず知らずのうちにマチュピチュ山の登山ルートに向っていました。あわてて引き返して遺跡全体を眺められる場所に陣取り、雨と霧が晴れるのを待ちました。ときどき山を駆け登ってくる霧の隙間から石で作られた市街の様子が見えます。2時間ほど踏ん張っていましたが、雨が止む気配がないので、いったんエントランスに戻り、朝食を食べながら待つことにしました。
エントランスにあるテラスカフェで日本人で世界一周をしているという夫婦に出会いました。もうすぐリマから日本に戻って一年間の旅を終えるという夫婦と、ひさしぶりに日本語で長話。先輩旅行者からいろいろな情報を仕入れると、今スケジュールしている旅行先以外にも行きたい場所がどんどん増えてしまいます。
昼頃には雨も止み、霧も晴れてきたので、ワイナピチュ山を登ると言う夫婦と別れてそれぞれ遺跡の中へ。
僕たちはリマの天野博物館で手に入れた、天野芳太郎の書いたガイドマップを持っていました。そのマップは氏がマチュピチュを訪れた際に書いた案内で、独自の歴史観を交えて、順にたどれば遺跡全体を歩くことが出来るようになっています。
マップ自体にはルートが書かれたい無いため、裏面の文章を頼りに遺跡を巡ることになりますが、宝探しのような感じで楽しい。何度か同じ場所を通ることもありますが、それも氏の解説付きなので毎回違った見方が出来ます。市外の段々畑にある住居跡から、17段の水汲み場、陵墓、半円の太陽の神殿、女王の宮殿、神殿などを一通り見学しました。
遺跡の南側のエリアをまわった後に、インカの橋と呼ばれる場所へ。断崖絶壁に作られたインカ道にかかる丸太の橋は、敵に攻め込まれた時に丸太を落として通れなくする事を想定して作られているようですが、そもそも断崖絶壁に石組みの細い道をどうやって作ることが出来たのか。不思議でなりません。
狭くて歩きにくい山道を往復30分くらい歩くので、少し疲れますが、ちょうど良い日差しと風とで心地よい気分になります。
インカ道から戻ったら、今度は遺跡の北側へ。技術者の住居跡、コンドルの宮殿、牢屋跡などを見て回ると、何度も階段を上り下りするため、すっかり疲れてしまいます。遺跡全体を見渡すことの出来るワイナピチュ山へは翌日訪れることにして、遺跡観光を切り上げました。
ところで、マチュピチュ遺跡への入り口にある事務所では、パスポートにスタンプを捺すことが出来ます。パスポートにそんなことをしていいのか分かりませんが、他の観光客が皆やっているので、それにならってスタンプを捺してきました。ペルーではなくインカ帝国に入国したかのような気分で嬉しい。
石の壁の作り方、調べました。9.25にNHKで放映されたそうでしたが、石のハンマーと青銅のノミだけだという記述。40数ページ調べました。あの12角の石壁の写真、1番良い写真でしたよ。インカ人の生活を再現したビジターセンターはなかったですか?ナスカの地上絵も描き方をTVでみました。でも、石壁の再現はきかないなあ。名古屋伏見の某BKの石垣が亀甲型の見事な石垣なのは知ってるんだけど。あと、再現ネタで韓国と日本の学者が協力して、古代人の船のつくりで人力のみで漕いで朝鮮海峡を渡る実験をしたら、かなり難しいことがわかったというのを子供の頃読んだ記憶があるよ。確か、(野生号)と言ったっけかなあ。30年前の話。 旅ブログには、要らん話だったかなあ。とにかく、謎が好きなので、えー、まあ、失礼しました。お元気で。北野
インカの石組みは、ピッチリ石がくっついているだけでなく、その石が四角い物だけでは物足りず、内部で複雑に曲がっていたりすることでも有名です。表から見るとタダの四角い石でも、石組みを崩してみるとテトリスのブロックか、洗面台の配水管のように曲がっている。文章でうまく表現できないな。
あと、建物の用途に応じて、石の中に水を通す管が掘ってあったりもします。それすらも石の内部で鋭角に曲がっていたりして、どうやって作ったのかが分からないものあるらしい。
でも、そんなことよりも、人の手で作られたものの持つ温かみやかわいらしさが、マチュピチュやクスコで一番面白かったこと。作った人の細かなこだわりやだれも気がつかないことに対する執念が、想像上の人格として、石組みのあちこちから感じられます。