ミハスの次の日は、東へ向ってフリヒリアーナへ。マラガからは車で1時間ほど。
ミハスよりもずっとキレイで、可愛らしい町並みの村です。道路に敷き詰められた白黒の小石のモザイクが、渦を巻いていたり、文様を描いていたり。家々の軒先には必ずと言ってもいいほど白壁に鉢が掛けられており、花が咲いている事も。アンダルシアの白い村のイメージをそのまま体現しているかのような村です。
またここは、キリスト教に改宗したイスラム教徒、モリスコ達の反乱(岩の戦い)の舞台となった歴史を抱えています。現在では血腥い歴史の後は、村のあちこちに飾られたタイル画を残すだけ。毎日自分たちの足でアンダルシア地方をのんびり観光する人々が、数多く訪れています。
古いガイドブックには観光案内所が無いと書かれていますが、インフォメーションの看板を見つけて辿って行くと、村の詳細な地図などを配布する案内所がありました。案内所の人に教えてもらったルートを地図上で確認しながら、村の中を歩きました。
ミハスの観光ずれした雰囲気とは異り、とても静かで落ち着きがあります。狭く曲りくねった路地を、眩しい太陽を遮ってくれる日陰を探しながら進むと、空色や緑色の扉のついた家屋が次々に迎え出てくれます。とても狭い観光エリアは、ものの30分もあれば一周出来ます。歩いている途中で、騒がしい笑い声にひかれて広場に出ると、教会で結婚式が行われていました。
30代半ばの、ぽっちゃりした新郎新婦がお互いに英語で話し合っているのを見て、イギリス人がわざわざこの村を選んで式を挙げたのか、それとも近くに住む人たちなのか、勝手に想像を膨らませます。青空の下、真っ白な教会にウェディングドレスが溶け込み、新郎新婦を迎えに来たオールドカーのつやつやに磨かれた黒いボディが、周囲の参席者達の鮮やかなドレスを写し込む。絵に描いたような風景が出来上がっています。
さらに翌日は、ロンダへ。マラガから西へ2時間近く走ります。
ロンダも白い村のひとつに数えられていますが、こちらは町と呼んでもおかしくないくらい大きい。峠を越えるルートを抜けて到着すると、観光客であふれ返っていました。ロンダの見どころは、スペイン最初の闘牛場と、ヌエボ橋。
闘牛場には博物館が併設されており、過去の著名なマタドールの衣装から、闘牛のはく製、ゴヤの描いたエッチングなどを見学出来ます。
はじめて訪れる闘牛場の丸いアリーナには、周囲を2階建ての観客席が囲んでいます。観客席に遮られて出来る傾き始めの太陽が、三日月形の影を描いていました。黄色い砂と扉や塀に描かれた赤い模様、赤く彩られた観客席が、スペインの国旗を思わせます。外部の喧騒から遮断されて静かなアリーナに立ち、ここで人間と牛との闘いが行われるのだと考えると、神妙な気分になってきます。
闘牛場の裏手に回ると、ピカドールが乗る馬を訓練するための馬術場も見学出来ました。周囲に張り巡らされた闘牛のための通路は、人間が安全を確保出来るよう、数メートル置きに壁を落として闘牛を隔離できるような構造になっています。闘牛がそこを走り抜けて、アリーナに登場するのを想像すると、わけも無く興奮してきます。
闘牛場を出て、すぐ近くにあるヌエボ橋を見に行きました。向かい合った絶壁の間を繋ぐ石造りの橋は、遠くから見ると山の裂け目に渡された、巨大な門のよう。谷底を覗くと、大きな鳥が数羽飛び交う影が見えました。100メートルをゆうに越える断崖に、ひとつひとつ石を積み上げた人たちの苦労と時間は、現在も大切に保管されています。
絵葉書でもロンダの象徴として扱われるこの橋は、橋自体の上からではよく観賞する事ができません。近隣の見どころを一通り散歩した後、高台にある村を外側から回り込むようにして、車で谷底まで下りて行きました。
橋の上から見ると舗装されているように見えた道路も、実際には穴ぼこだらけの農道。穴や路肩に落ちないよう注意しながら運転して、ヌエボ橋の正面にある開けた場所に出ると、背の高い橋と、左右に広がる町が崖の上に乗っかっているのが見えます。橋は、足の長い巨人が両手を開いているようにも、教会のステンドグラスの窓枠のようにも見えます。
夕日に照らされたロンダをしばらく眺めた後、太陽を背に、再び峠を越えるルートへと戻って行きました。