イスタンブールは「七つの丘の町」と呼ばれるほど、坂道の多い街。街を歩いていると、常に上っているか下っているか。どちらにしても疲れることが多い。
市内を走る市電やトラム、ケーブルカーなどが発達していて、観光に都合良いように、名所の付近に停留所があるので、もっぱら公共交通機関を乗り継ぐ移動が中心になります。
ビザンチン帝国がコンスタンティノープル(現在のイスタンブール旧市街)に遷都して以来、多くの建造物がこの地に建てられ、それが現在まで素晴らしい保存状態で残されています。
最初に観光したのは、ガラタ塔。新市街の丘の斜面に旧市街との間に横たわる、金角湾を臨むように建つ古い塔に着いたのは、午後7時ごろ。塔の上にある展望台から、夕焼けに染まる旧市街を眺めました。夕焼けが街全体を黄色く染める中、仕事が終ったのか眼下の細い小路を足早に行く人、屋上のテラスで新聞を広げる老人と猫、トラムにギュウギュウ詰めになって運ばれてゆく人々。都市の時間が昼間から夜に移り変わる瞬間は、眺めていて飽きることがありません。見上げた空にはカモメが飛び交っていました。
翌日向ったのはトプカプ宮殿。英語ではトプカピ。過去のスルタン達が過ごし、オスマン帝国の行政の中心として機能した宮殿と、その妻達が住んだ後宮ハレムが公開されています。宮殿の入り口となっている、金ぴかのアラベスク模様の描かれた大きな「皇帝の門」の手前が第1の中庭。門をくぐると、第2の中庭があり、その左手にあるのがハレムです。
ハレムが空いていそうなので(なぜならここは別料金)、先にこちらを見学。各所に設けられた説明書きや生活を再現したマネキンを見ながら進むと、イズニックタイルの素晴らしい皇子の部屋、スルタンの派手な生活ぶりが偲ばれる大広間皇帝の間などを通ります。
ハレムと言うと、女性を各地から買ってきたり連れてきたりと、一夫多妻制の後ろめたいイメージが付き纏いますが、よくよく考えればヨーロッパで広く行われていた政略結婚や、日本の大奥って、似たようなものだなと気がついたのもこの場所。
ハレムを出て宝物館へ。ここはこれまでに見たどんな宝物館よりも金銀財宝が詰まっている場所でした。
スルタンの使っていた衣装や刀剣などから、アクセサリーや食器類など。どれもピカピカでダイヤモンドやエメラルドがあちこちにちりばめられているような代物。世界有数の大きさと言われる89カラットの「スプーン屋のダイヤモンド」に到達する頃には、それすら大したものに感じられないほど、感覚がマヒしてきます。
厨房として使われていた建物の中には、中国や日本の焼き物や当時の調理道具などが展示されていて、これも面白い。シルクロードを馬やラクダに揺られ、はるばる旅してきた展示品をトルコで日本人が眺めていると言うおかしな構図。
真下にレストランのあるテラスで、美味しそうな料理の匂いを嗅ぎながら、眺めるボスポラス海峡は壮大な景色です。遠くに巨大なタンカーや小さなヨットまで、様々な船が浮かんでいるのが見えます。代々のスルタン達はこの風景を毎日眺めて過ごしたのでしょうか。
その後、数日かけて旧市街に点在する大小のジャーミィ(イスラム寺院)を見て歩きました。中でもアヤソフィアは、とある小説でその存在を知ってから、ずうっと来て見たかった憧れの場所。巨大な半球型の屋根を持つ建物の左手から内部に入り込みます。観光客で溢れる巨大な空間は、隅々まで装飾を施された柱や天井で構成されており、見上げると眩暈がしそう。
ギリシア正教の総本山として建てられ、オスマン帝国時代からイスラム寺院として転用されるものの、メッカの方角を示すミフラーブが造られた以外は、ほぼ手付かずのまま。現在もその素晴らしい建築、内装、細かなモザイク画の残すことが出来ています。各地の異宗教文化を破壊してきたキリスト教とは違い、異文化の存在を認めるイスラム教の寛容さに感謝しなければなりません。
残念ながら円天井の一部が修復中のため、足場が築かれていて全体を見ることは許されませんが、それでもビザンチン建築の最高傑作とされる、圧倒的な空間を頭上に見上げると、文字通り開いた口が塞がりません。
各所に残っているモザイク画は、5mm前後のちいさなタイルを並べて描かれた非常に細かなもの。とてもとても美しい。