同じく素晴らしいモザイク画を訊ねて、中心部から外れた場所にある、カーリエ博物館まで足を伸ばしました。こちらも修道院として建てられた後、イスラム寺院として使われていた建物。ところどころ欠けているものの、室内全体に施されたモザイク画は、息が詰まるほどの濃密な芸術。天井ばかり眺めているので、首が痛くなります。
この博物館は、アヤソフィアのモザイク画復元でも活躍した、アメリカ・ビザンツ研究所の調査によって「発見」されたそうです。イスラム寺院として使う際に、モザイク画を破壊するのでは無く、上から漆喰で塗り潰されていたらしい。その漆喰を取り除けばほぼ完全な状態で、モザイク画が出てくるという仕掛けです。
修復工事でほぼ全体が見学不可能になっていたスュレイマニエ・ジャーミィ。館内に展示されている写真を見ているだけでは満足出来ず、裏手にある墓地まで見学しました。
イスラム教の墓は、細長い棺の形をした墓石の両端に墓標が立っている不思議な形。書かれているのがアラブ文字出なければ、墓地の雰囲気は日本のそれからそう遠くはありません。でも日本の墓地が墓を持つ親族だけが入ることが許されるような雰囲気があるのに比べ、この場所には観光客も地元の信者たちもたくさん遊びに来ています。
墓地の一角で猫の大家族を見つけて、しばらく一緒に遊んでしまいました。墓地の警備員もそれを遠めに見て微笑んでいます。
バザールの人混みを掻き分けながら歩いて行った、リュステム・ジャーミィ。イズニックタイルの青が美しい内部を見学し終ると、ちょうどお祈りの時間になりました。ミナレットから大音響で発せられるアザーンを聞きながら、信者が次々にやって来ては入り口で靴を脱ぎ、内部に吸い込まれてゆくのを眺めていました。
激しい喧騒のバザールの中にあって、ここだけがぽっかりとエアーポケットのように、静かで空気の良い場所。ぼーっと建物を眺めているだけで、心が落ち着いてきます。
あちこちを観光していると、ところどころで現地トルコ人の親切に触れることが出来ます。エジプトでは絶対に有り得ない、頼んでもいないのにガイドを買って出て、何も要求しない人。ニコニコ笑って去ってゆきます。恥ずかしそうにしながら、こちらが分からないトルコ語を畳みかけるようにして、一方的に席を譲ってくれる人。バスの乗り場が分からなくても、安心して近くにいる人に聞くことが出来ます。誰もいやがったり、逃げたりしない。目を合わせてもいないのに、僕たちは行くつもりも無いのに、「○○博物館はあっちだよ」と教えてくれる人までいます。
市内を走るバスは、大型のしっかりした構造のものもあれば、20人も乗れば満席になる小型のものまで。小型のバスはどう言ったわけか、どれも一律前輪部分の車高がやたらと高く、今にもウィーリー走行を始めそうなアンバランスです。バスに乗っていると、他人の荷物をさりげなく持ってあげたり、お年寄りが乗ってくると知らぬ間に席が空いていたりと、市民たち同士の気遣いも目にすることが出来ます。
夕方になると市街各所のジャーミィから、お祈りを呼び掛けるアザーンの声が響き渡ります。トルコ独特の訛りでもあるのか、同じアラブ語でも中東の国のそれと違い、不協和音が優しく切なく染み込んでくる。方や新市街ではネオンサインが輝き始め、これから深夜に向って人がさらに集り、レストランや商店は書入れ時を迎える。新旧が混然とした街ならではの温かさが、多くの観光客を引きつける引力になっているのでしょう。
ECへの加盟が間近に控えていて、これからどんどん近代化され、街が整備されて行くことと思いますが、人々の心が変わらないことを切に願います。